HEAVENS BREAK  作:雨月千夜

第77話「最期」

 学校が終わってから竜崎はいそいそと帰る支度をする。行く場所は唯一つだ。それを知っているせいか、青葉も菊池も「一緒に帰ろう」などとは言えなかった。
 ただ、彼の顔を窺って遠慮気味に、
「……ねぇ、私達も行っていい……?」
 そう聞くしかなかった。
 病室では相変わらず夕那がベッドに身体を預けている。
 閉じそうなうつろな瞳のまま窓の景色へと視線を投げている。自分でも可笑しなことだと思う。前まで当たり前のように歩いたり走ったりして、学校で勉強をして、友達と一緒に帰っていることが出来なくなったのだ。あの時、自分があの子どもを助けなかったらあの子が死んで自分が普通に生活を出来ていた。でも、それでは自分の心に深い傷痕が残ってしまう。誰かを殺して自分が生き延びるなんて、なんとも醜い生き方だと思ったからあの時助けたのかもしれない。
 そう思っている彼女は、独りでいる。
 病室も個室なので、他に話せる患者もいない。時計の時刻は学校の終わりを指していた。
 それを確認すると、窓から視線を外し、小さくポツリと呟く。
「……恭弥…来てくれるかな………」
 彼女がそう呟いた瞬間、突然、彼女の腹の傷に異変が起きる。

 竜崎と菊池と青葉は学校の帰り道がてら、病院へ向かっていた。
 一緒に帰っているとはとても言えない状態で、菊池と青葉が肩を並べて歩いているのに対して、竜崎だけは彼女達の数メートル前を歩いている。彼女達も今の竜崎のぴりぴりした空気から身を引いているのかもしれない。思えば、今日の授業も竜崎はずっと上の空だった。彼が教科書の音読や問題の回答に当たるたび、まったく耳に入っていないので青葉や菊池が何度もフォローしていた。それに竜崎は気付いていない。それほど一人の少女について思いつめていたのだから。
 そんな緊張の糸を断ち切るように携帯の着信音が鳴る。
 竜崎のだ。
 かかってきたのは病院の電話番号。竜崎は慌てたように電話に出る。その様子に首を傾げた青葉と菊池も竜崎の元へと駆け寄り、携帯に顔を近づける。
 そこから聞こえてきたのはただの絶望の言葉だった。
『今学校からの帰りかい?すぐに病院に来てくれ。赤村さんの容態が急変したんだ』

 病院の中を走る音が聞こえる。激しい息切れを繰り返し、他の患者の不快な視線や看護婦の制止も聞かず、二人の少女は病院の中を走る。
 桃色の髪の少女と金髪の髪の少女。桃井桜と黄山雷花である。
 彼女達が向かうのは一つの病室。
「赤村!!」
 ガラッと扉を憩いよく開け、桃井が叫ぶ。部屋には竜崎、青葉、菊池は勿論、灰月、緑川姉妹、村雨、紅林兄妹、さらには「マーズ」の面子まで揃っていた。
 ベッドの上の夕那は苦しそうな顔で、竜崎の手を強く握っていた。
「何で、何でこうなったの!?」
「落ち着け馬鹿会長。コイツの怪我はナイフで刺されたモンじゃねぇんだよ。如月の炎だ。恐らくはアイツが何か仕掛けてたんだろう」
 取り乱しそうになる桃井へ灰月がそう言い返す。
 彼女の傷は『予言者』のリーダーの如月火炎の黒い炎によってつけられたものだ。『魔の力』がいまいち分からないが、彼の能力でこの傷を負ったのならば彼の能力の仕業と考えるのが妥当である。
 傷の変化でもないため、医者もどうする事も出来ない。
「…………うぅ……」
 夕那が小さく呻き声を上げる。ただ息を荒く吐くだけで、口から出る言葉が言葉として成立していない。
 夕那はもう覚悟していた。ここで自分が死ぬこと。恐怖はある。でも、今は自分の好きな人の手を握っていられる。そう思うだけで傷みに耐え、言葉を紡ぐことが出来た。
「…………ね、ねぇ…恭……弥…………。私、の………最期の…言葉。…………聞いてくれる……?」
「…喋るな」
 竜崎はそう言うが、今言わなければ一生伝えられない。だからこそ夕那は口を必死に動かす。
「………私ね………………恭弥と、初めて友達になってさ…すっごく、幸せだったよ……………。毎日楽しくて……ヒナちゃんや、冷…他にも、緑川さん、や……色んな人と……友達になれて…毎日が楽しかった……」
「……喋るなって」
 恭弥は涙をこらえたような声で言うが、夕那は消えてしまいそうな声で話を続ける。目には涙が溜まり、今にも頬を伝い、流れ落ちてきそうだった。
「…危ないこともあったよ……………。『マーズ』の人と戦ったり………たまに、街で会う…篠原君にナンパされたり……村雨さんと戦ったり………そして今みたいなことも起きた………」
「………もういい。死ぬぞ」 
 恭弥の言葉を夕那は聞いていない。今の言葉は彼女にとって、それほど大事なことなのだ。夕那の手を握る力が段々弱くなっているのに、竜崎は気付いている。だから強く握り締める。
「………それでも、私の大切、な時間……だから………そんな、最高の出会いを与えて、くれて……ありがとう」
 夕那は笑い目から涙が零れ落ちる。
 竜崎は彼女の手を握ったまま彼女の言葉を聞いている。
「………恭弥……。………最期まで私の手を持ってて……………。…ずっといてほしいの………最期に………私の……一番、伝えたかった、事………伝えるね」
 夕那は一呼吸置く。
 それから口を開き、
「大好き。………愛してるよ、恭弥」
 フッと夕那の全身から力が抜ける。顔は笑ったままで手は弱く竜崎の手を握り返した状態で、
 彼女の刻が止まった。

 この日、赤村夕那は死んだ。


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